今までの子育てを振り返ると・・・
長女が生まれ、次女が生まれ、三女の妊娠をし、調子を崩してどうにもならなくなったその時まで・・・
私の子育てを一言で言い表すと
「エゴ的子育て」
だったと思う。
自分が他の人から認められたくてしていた子育て。
自分はすごい!と思いたくてしていた子育て。
子どものためだと自分に思い込ませていた子育て。
たとえば・・・
①布オムツしか使わない
自分自身、生理用のナプキンは嫌いで布ナプキンを知ったときは感動し、それ以来
産後の悪露(この言葉は好きじゃないが)も産後2日ほどしてからは布を使っていた。
だから布オムツはごく自然な選択だったし、3人目にも使っているのだが、
何が悪いって、
「布しか使わない」
と決めたことに問題があった。
疲れているときや、旅行のときは紙オムツだっていいじゃん~
と割り切れず。
「布しか使ってません!」
っていうために紙オムツは毛嫌いしていた気もする・・・
3人目になり、夏以外の夜や外出時、旅行時は紙オムツを導入。
ストレスが減りました・・・
②ベビーカーを使わない
抱っこやおんぶがいい、といわれるとベビーカーを使うのがすごく悪いような気がして
肩こりや腰痛がひどくてもおんぶや抱っこで頑張ってた私。
当然疲れ、イライラし、その結果子どもに当たる。
イライラしている私におんぶされるより、ベビーカーに乗せられたほうが子どもは幸せでしょう・・・
③幼稚園や保育園にいれずに自宅で子どもをみる
「子どもは母親と一緒が一番」
その考えに基づき、自分の限界を考えず、4歳になっても自宅にいた長女。
子どもとの生活にどうしようもなく疲れ、子どもとこれ以上1分も一緒に居たくない!
と思っても託児を頼めなかった次女。
その時の私は子どもといるのは限界を相当超えていたのに、それでもこの考えに縛られ、自分の欲求や限界を見ていなかった。
その結果、怒鳴る、たたく、子どもはかわいくない、一緒に居たくない・・・
「がんばっているね」「すごいね」
と認めて欲しくて、
また、「普通の保育園や幼稚園には入れないんだ」
と思われたくてしていた気がする。
冷静になって考えると、家にいても虐待されてたんじゃ全く子どものためになってないんだけど、それすら「わからない」くらい必死だった自分。
でも三女妊娠で倒れ、周りの助けを借りて半ば強制的に上二人を保育園に入れ、
それでようやく自分の間違いに気付いた私。
今もまだ自分の必要とする分だけ子どもを預けることはできてないけど
(金銭的な面と子どもの意見とで)
それでも前よりは随分早く「限界」を感じ、「助け」を求められるようになった。
それでもまだまだエゴと奮闘中・・・