幸せ夫婦 幸せな子育て 

楽しい子育て模索中!自分探し真っ最中!!

子どもにもらった、最高のほめ言葉✨

「お母さん、怒っているときは別の人になるけど、

それ以外の時はやさしいよね」

 

ん?んんん!?

 

めっちゃ耳を疑って、

「何て言った?」

と何回か聞きなおした。

 

「え?私がやさしい母親だって!?」

(怒ってるときは別人、というのはわかりきっていることだからスルー笑)

 

 

もう9年近く母親やってきているけど、子どもが、私のことを

 

「やさしいお母さん」

 

と思っているなんて、これっぽっちも思っていなかった・・・!

 

 

私がずっと追い求めてきた、なりたい自分は、

 

「やさしいお母さん」

 

でも現実は、「私が思う」やさしいお母さん、には程遠くて、

ほんとになりたくてなりたくて仕方がなかった、

その「やさしいお母さん」

 

自分がなれていないと思っただけで、

子どもの目には一応「やさしいお母さん」に見えていたらしい・・・!

 

 

よくあるお母さん像、「聖母マリアさま」的な、

いつもニコニコしていて、子どものことを見守って、

やさしく包んであげるような、そんな「お母さん」

 

 

私はそんなお母さんからは程遠い。

怒鳴り声は毎日聞こえ、夫には

「近くの公園まで怒鳴り声が聞こえてるよ」

と言われる始末。

 

もちろん子どものことは大事に思っているし、

色々してあげたいと思うんだけど、

3姉妹、みんなの欲求が聞いてあげられなかったり、

一気にわ~!っといろんなことを言われたりして、

私の限界を超えると、気づいたら怒鳴っている。

 

それはみんなの欲求をかなえてあげられない自分への怒り。

自分の中の傷をえぐられるような痛み。

 

そう、おそらく子どもに怒っているわけではないのだ。

子どもを通して、自分の中の傷がうずいているだけなのだ。

子どもはそれに気づかせてくれているだけでね。

 

でも、そんな怒ってしまう自分が悲しくて、むなしくて、

子どもに申し訳なくて、私は自分に

 

「ダメな母親」

 

というレッテルを張った。長女が生まれて割とすぐにね。

 

それ以来、自分はダメな母親だと思って生きてきたの。

 

 

私はここにいちゃいけない、

私が居ない方が家族が幸せなんだ、

 

 

それが真実だと信じて子どもと生活してきた。

その我慢が、不安が、怒りが爆発したとき、夫に訴えた。

 

「私は存在価値がない、私が居ない方がみんな幸せなんだよ」

 

って。

 

そしたら夫は呆れたように笑って、

 

 

「なおが居るから家が回ってるんでしょ。

存在感めちゃめちゃ大きいけど」

 

 

そんなことにも気づいてないの?というような、バカにする感じの笑い。

う~ん、怒っていいのかあ、喜んでいいのか・・・

 

 

でも、そこから私の家での生活が変わった。

「私、居ていいんだ」

って、私の自由にしていいんだ、って。

 

 

それまで、自分の物の置き場も、キッチンも、すっごく狭く使ってきたんだよね。

なぜなら「私は居てはいけない」って思っていたから。

 

 

でも、なんだ、居ていいんだ、って思って、そのスペースを広げたの。

自分専用のクローゼットを買って、ダイニングテーブルを買って

(それまでは家族5人、折り畳みの小さい座卓しかなかった)

 

 

気分は「姫」よ(笑)

 

でも、自分がやりたいことをやって、欲しいものを手に入れると、

他の人にもそうしてあげたくなるんだよね。

子どもたちは念願の2段ベッドを買い、半個室のような、プライベートスペースを確保。

 

夫は大きいテレビにTV台、ウッドデッキと自分のものを収納する場所が欲しかったんだって。

それもすべて叶えてみた。

 

その結果…

 

家がめちゃめちゃ快適に!!

そしてその結果なのか、

購入した家具がそろってだいたい家が落ち着いたその日に、

子どもたちに例の言葉を言われた。

 

 

「お母さん、怒っているときは別の人になるけど、

それ以外の時はやさしいよね」

 

 

もしかしたら今までもそう思ってくれていたのかもしれないけど、

 9年母をしてきて初めていわれた「やさしい」って言葉。

 

 

私が私にやさしくなれたから、そう言ってもらえたのかもしれない。

私が姫気分の余裕を味わって、子どもにも余裕をもって接したから言ってくれたのかもしれない。

 

でも、きっと、もともとあった私の「やさしさ」

 

聖母マリアさまとは全然違うけど、私らしい「やさしさ」

 

 

あぁ、すごく求めていたけれど、実はすでに私の中にあったんだ、と

ただ怖くて見て見ぬふりをしてきたんだ、と

ほんとうにうれしくなった一言でした!

 

ふと気づいたら・・・

ふと気づいたら、10年以上経っていた。

その間、時間が止まっていた、そんなような感覚がある。

 

あの時の私は今よりもっと自由だったな・・・

 

私は男性が多い世界で生きてきた。

男友達が多くて、理系の高校に理系の大学。

親しい女友達も男っぽい子ばかり・・・

女の子だけで遊ぶこととかあまりなくって。

バイトですら男の人が多くて。

 

なのに、夫と出会った11年前から、

急に私の周りがほとんど女の人という社会に変わってしまった。

なんなんだろう、この変わりっぷり。

今では男性としゃべることすらほとんどない。

子どもは女3人、夫は週末しか話す時間はない。

男の気配が全くないこの生活・・・

 

未だに女の人とどう接していいか悩んでいる気がする。

男の子だったらもっと育てやすかったのかな。

男の人のいる職場で働いていたら楽だったのかな。

 

でもようやく気づいた。

女の人と深く関わりたいと思っている自分に。

 

今までは人づきあいが怖くて逃げてきた、

そのことにようやく気付いた。

逃げていても仕方ない、

ようやくそう思えた。

 

そう思った、ただそれだけだけど、人間関係がちょと変わった。

 

これから私の周りはどう変わっていくのだろう。

楽しみだ!

自分の殻の一歩外は・・・

今、何かがすごく変わろうとしている・・・

 

それが何なのか、まだ言葉にできるほどわかっていないのだが・・・

 

今まで、傷つくのが怖くて、自分の殻の中に閉じこもっていた。

傷つきたくないから、苦しみたくないから、

人と深く関わることを避け、何か一つに熱中することは避けてきた。

そう、無意識のうちに。

 

でも、本当の私は色々なことを経験したがっていて、

サークル活動したり、仲間内で集まったりしてみたり、

旅行に行ったり、新しいことを始めてみたりしたくて、

そして計画もするし、サークルに入ってみたりするのに、

でもここまでは絶対安全!というところで自分で一線を引いていて、

そこよりも深入りしそうなら無意識に逃げていた。

 

「ごめんね、楽しみにしていたんだけど体調が悪くて今回は無理そう」

「子どもの用事で・・・」

 

もっともらしい言い訳を付けて自分を納得させてた。

本当の理由は怖くて直視できないから気づかぬふりをして。

 

そう、本当の自分を知るのが怖いから。

自分の限界を知るのが怖いから。

相手と接して傷つきたくないから。

だから人と関わることを避けてきたのだ。

だから安全だとわかっている場所で、じぃっと固まっていた。

 

しかし、ある時自分のその癖に気づき、

それが自分の進化を止めていると知って、

 

「傷ついてもいい、先に進みたい」

 

そう思ったら、急にグイグイと他の人が私の中に入ってきて、

いつも通り逃げようとしていたことから引きずり出してくれた。

いろいろなことが重なって大変で、習っているフラのステージを辞退しようと思ったんだけど、

 

「やらないと安全だし疲れないけど、それじゃぁ上手くもならないよ」

 

先生にそう言われてハッとした。そう、私の人生、今までそうだったのよ。

 

「安全第一」

「予期せぬことが起こらないよう、コントロールできる範囲で」

「やりたいことよりも求められることを、しかも完璧に」

「本当に欲しいもの、ではなく、消去法でこれならいいかな、ってものを選択」

 

 

 

結局、前に進みたくてステージに立つことに決めたんだけど、

やはり試練は待っていて、リハーサルの日に泣いてしまった。

そのまま逃げるように帰ろうと思ったら、、、

いつもだったら逃げ足の速い私は逃げ切れるはずだったのに、、、

鍵が見るからず、フラの同じクラスの人に捕まった。

 

「大丈夫?」と聞かれ、

 

「大丈夫です」

 

と応えるバカな私。

そういう人のこと、めっちゃ非難してたんだけどな~

泣いてて大丈夫、とかある?もっと素直になったら?みたいな。

なんだ、それ、私のことじゃん・・・

 

逃げたかったのに捕まって私の中から引っぱり出された。

自分の中のモヤモヤを言葉に出したらさらに涙があふれてきて・・・

だけど、意外と「超絶望的」に感じていた私の中のものは、

話を聞いてくれた人が経験したことであり、

今もまだ悩んでいる内容とかぶっていたのだ。

 

それまで私は一人だと思っていた。

一人でもがき苦しんでいると思っていた。

でも、たぶん一人ではない。

私の周りの人も同じような経験をしたり、同じように悩んでいたりするようだ。

 

そして、私は必要のない人間だと思っていた。

迷惑をかける人間、正しい決断のできない人間、

優柔不断な人間、そもそも私がステージに居ても居なくても一緒だろう、

そのくらいに思っていた。

 

なのに、みんなすごく優しくて、私のこと心配してくれて、

一緒に踊ろうよ、楽しもうよ、って私のために時間を割いてくれて…

そうなの?私、迷惑ばっかかけてるのに居てもいいの?って・・・

 

今まで閉じきっていた自分、周りをコントロールしきっていた自分を

ちょっとだけ緩めてみた。

そうしたら、今まで一か所に必死にしがみついていた私が

ふぅっと流れ始め、そうしたら周りの人も一緒に流れ始めた。

私の一部に他の人が流れて入ってくる感じがした。

でもそれは気を遣う、とかの次元ではなく、

やさしく混ざりあい、自分の一部を一緒に共有している、

そういう感覚なのだ。

なんと優しくて暖かい感覚なんだろう。

 

その感覚に気づいたのに、時間がたってふと気づくと

いつもの自分のパターンに戻ってて、

自分をコントロールし、周りをコントロールし、自分の中に閉じこもろうとしている。

そうやって気づいたときにまた緩める。その繰り返しだ。

 

私は怖い。今まで必死に握りしめていたものを手放すのがすごく怖い。

一生懸命守っていた自分の殻から出るのが怖い。

しかし、その殻の中に居ることは本当に望んでいることではないのだ。

友人が私の中に入ってきてくれたあの温かさを、

あの心地よさを忘れずに、ゆっくりでも変わっていきたい・・・

 

 

私は私を創造しているし、何だって創造できる

結構よく忘れているけれど、

特に今かなり体も心も疲れていて、すっかり忘れていたけれど、

 

私が見ている現実は私が作り出している。

それは私の見方であるかもしれないし、

私の行動であるかもしれない。

決して、私の周りの人が私の人生を創造しているわけではない。

そうわかっているつもりでも被害者意識になることもしばしば。

だけど、そうではないんだ、とまた改めて気づいた。

 

子どもが寝ない。夫と二人の時間がない。

祖父が倒れた。幼稚園が学校行事がいっぱい・・・

 

気分が沈んでいると、

「なんで私の人生はこんなにつらいんだ、いやなことばっかり!」

 

と思う。しかし、改めて自分を俯瞰してみると、

 

夫が買い物に行ってくれた。子どもを病院に連れて行ってくれた。

こんなに怒る母でも子どもたちは慕ってくれる。

助けてくれる人がいる。(今日家事代行の方が来てくれている)

 

いろいろな恵み、幸せはあるのだ。

それを感じられないのは私。幸せな自分を見ずに、

不幸な自分だけど見ているのは私なのだ。

やらなくてもいいこと(やりたくないこと)をやって

自分を追い込んでいるのは自分なのだ。

周囲の期待に応えたいと思ってかんばりすぎて、

そして燃え尽きているのは自分なのだ。すべて自分の選択なのだ。

 

たぶん誰も私にそこまでの期待をしているわけではなく、

やりたいことをやらない方がきっとうまくいくのだろう、

自分の言いたいことを言った方がうまくいくのだろう、

 

それはわかっているはず。頭ではわかっているはず。

それだけどできない。

 

怖くてできないときもある。それはまぁわかってしているからOKかな。

しかし、反射的に、自分がそうしたいのかなぁと思ってやってしまうことがある。

でも本心は「私のことを認めてほしい」で、相手の期待に応えようとしている。

または、どうしていいのかわからなくて、自分の気持ちもわからなくて、

完全に固まってしまってしまったり、相手任せになることもある。

 

そんなことが続くと、だんだん自分自身から遠ざかって、

元気も気力もなくなって倒れるのだ。

今がそんな感じ(涙)

 

「自分との対話」

 

それが大事なのはわかってる。

 

「自分のニーズを大事にする」

 

それもわかっている。

 

わかっているけどできない。

あまりに自分の対話とは無縁の人生を生きてきたので、

急にはやり方がわからない。

自分のニーズがわからない。

ゆっくりしたいのか、ワクワクしたいのか、

何を食べたいのか、何を着たいのか、

1人で居たいのか、しゃべりたいのか、

悲しいのか、怒っているのか。

 

人は誰だって、何だって、創造できると言うけれど、

自分にそれができる気がしないのだ。

自分ができないと思ったら本当にできなくなっちゃうと思うんだけど、

でもできないと感じている。それがすごく悲しいし、むなしい。

 

今はそれでいい。そう思う自分の気持ちを受け入れるところから始めよう。

 

私は待つことがすごく苦手なのだ。

すぐに結果を求めてしまう。

時間がかかる、ということが非常に怖い。

 

だからこそ待ってみよう。結果が出なくてもいい。時間がかかってもいい。

自分がいつか変われると信じて、楽になれると信じて、待ってみよう。

今日気づいた、忘れていたもの・・・

かなりの驚き!!!!かなりのショック!!!!!

 

最近、フラダンスを始めたのですが、フラダンスって踊るとき笑顔じゃないといけなくて、

その笑顔が自然に作れないし、笑うと皴がすごくってかなり凹んでた・・・

 

それで顔のマッサージやトレーニング?し始めたんだけど、

それで気づいたの。

 

「日ごろ、顔を動かしていない・・・」

 

夏休みになって特に子どもたちとだけ過ごす時間が増えて、

ますますしゃべることも笑顔もなくなってた。

怒ることはあっても、幸せ系の表情ってほとんどしてないんだよね。

これには愕然。

 

私の理想のお母さんって、

「いつもニコニコしてる」

イメージだったのに、私はほど遠いところに居るよ。

子どもたちは笑っている私のイメージってないのかもな~

 

でも、子どもって1日400回笑うって記事を見て、

注意して子どもたち見てたら確かにめっちゃ笑ってんだよね。

何が面白いのかわからないけど、とにかく笑う、みたいな。

すごいね、子どもたち。

私がこんなに笑っていなくても、笑ってくれている子どもたちに感謝。

 

自分の中で何かが笑う邪魔をしている。

もうだいぶ前から気づいていたはず。

気づかないふりをしていたけれど。

今が幸せじゃないわけではなくて、私が笑い方を忘れているだけ。

あ~子どもたちを見て思い出そう!!笑って幸せを感じよう!

 

それと、もう一つ大事なことを忘れていた。

今日、私の祖父が倒れて、あすからの週末で私だけ実家に帰るかどうか、

って夫と話をしていたんだけど、めずらしく心配して午後だけで2度も電話してくれて、

「子どもたち見てるから、1人で行ってきていいよ」

って言ってくれて。

 

「ありがとう」

 

って答えた。夫がすごく照れた返事を返してくれた。

それで気づいた。夫にしばらく「ありがとう」っていってなかったな。

何かを取ってくれたりしたときの、軽い「ありがとう」は言っていたけど、

 

心からの「ありがとう」

 

すっかり忘れてたよ~(涙)

夫との間で久々に!温かいものが流れるのを感じた。

 

幸せはすぐ近くにある。答えはすべて私の中にある。

生きているって感覚

私の中での

「生きている感覚」

って、

 

「大変な状況、困難な状況」

 

であることに気づいて愕然とした。

 

そりゃぁ、今の人生、大変になっちゃうよね。

 

私はリラックスして、ワクワクしてて、エネルギッシュで、

楽で、楽しくて、温かくて、循環して・・・

 

そんな人生を送りたいのに、ほど遠いものを望んでいるようだ。

生きている感覚がなくなったら何が怖いのだろうか・・・

実は私は結婚前に何度も性的被害に合っている。

大半は自分で招いたことである。

 

前の記事に書いたように、パブで働いていた時に

お客さんと二人で車に乗っているときに

急にブラを外されて胸をもまれたことがある。

 

どういう流れかすっかり忘れたけど、

写真がご趣味というお客さんに全裸の写真を取られたことが数回。

 

街で声を掛けられて、アイドルに応募しませんか?みたいな誘い方だったかな、

すぐ終わるから写真を撮りましょう、と言われ、部屋に連れていかれて写真を撮られてセックスまでされた。

 

お客さんとの関係はお金が絡んでいて、お金が欲しくてやった。

アイドル事件もね。

 

1人でグアテマラに旅行した時、さみしさのあまりか、お金を払ってもらいたいためか、旅先で知り合った数人の男性と夜を共にした。

 

日本でバイクで旅をしていた時も、宿泊費を浮かせたくて、旅先で知り合った男性宅に泊めていただいて、夜を共にした。

 

今になると「なんでこんなことをしたのかな」と思うのだが、

 

一つは「さみしさ」を紛らわすため。

一つは「お金」のため。

 

私の中でこれはセットらしい。

 

こんな生活をしていた私が、結婚をしてから10年間、浮気もせずにいる(笑)

これは結構びっくりなことで、というのも、夫は仕事が忙しくて平日はほとんど

顔を合わさないし、夫婦生活らしきものはほとんどないし、

浮気をしても何してもきっとばれないし、そういう状況なんだけど、

さみしさから浮気をしたい、思ったことはあるけど、したことはない。

給料だってすごくいいわけではないし、子どもにもお金かかるし、

どこか違うところで「ヒモ」的な男性を探すのも一案なのに(笑)

 

なんだかんだ言って、私は今の状況に、今の夫や娘たちとの関係に満足しているようだ。

今は浮気よりも一人でどこかに行きたいよ~

 

それにしても、昔のあの男性関係の意味を知りたい。

私は何が欲しくて、何が怖くて、そのような行動にでたのであろうか・・・