幸せ夫婦 幸せな子育て 

楽しい子育て模索中!自分探し真っ最中!!

キャバ嬢時代

なんだかあの頃を振り返りたくなって、書いてみることにした。

興味のある方だけご覧くださいね。

 

大学2年生~3年生だったかな、同じサークルの子に誘われれ、パブで働き始めた。

ちなみにその当時、私は医学部在籍、誘ってくれた子も医学部、

他の女の子も看護学部の子や、作業療法士として働いている方や、

なぜか医療系の方が多いところだった。

 

なぜ始めたかって、時給がいい、それだけ。

時給2000円スタート、指名が入ればどんどん上がる。

勉強やサークルが忙しくて、週1のバイトで必要なお金を稼ぎたい、

それだけのために始めたんだ。まぁ、パブにも興味はあったけどね。

 

きれい目なスーツを着て、お客さんの隣に座って、お酒を注いで、

話をして、おだてて、盛り上げて・・・

そんな仕事。田舎のちっちゃなパブだからそんなに気取らず、ノルマもなく。

 

これがまた、向いてなかったんだよね・・・

私は話下手、話が続かない、盛り上げられない、おだてられない・・・

当然ながら指名も決まった数人にしかいただけないし、

ちょっとかわいいだけでどうにかやっていけた。

若干引け目を感じてそこに居た。

 

でも、お金がもらえるとすごくうれしくて。

さらに、同伴出勤でその前に一緒にご飯に連れて行ってもらったり、

アフターでお寿司食べに行ったり、

お誕生日や○○欲しいな~って言ったらいただけたり。

大学生にはできない経験をさせてもらった。

楽しいことばかりじゃなかったけど、私のために何かをしてくれるのがうれしかった。

 

代わりにストレスも多かった。思ってもいないようなお世辞を言って、

触られても我慢をし、眠気との闘い(2amまで仕事でね)。

 

来てくれる男性型も当然幸せそうな人はいなくてね~

この架空の幸せやおだてを求めて、せっせと通ってお金を払ってくれるのよ。

その人を「本当に幸せにすることはできない」

そのこともわかっていたから、それも辛かったな。

 

だけど、なかなかその世界から抜け出せれなかった。

心も体もすぐにぼろぼろになるのは感じたんだけど、

しかもその時は彼氏と同棲していて、そんな生活をする私に何もいわない彼氏にもイライラしてたけど、

そんな私でもそのお店が閉店するってことになって、そこよりいいお店に引き抜いていただいて。

時給の条件とかはさらに良かったんだけど、体調を崩したのもあったり、お店が合わなかったこともあり、数か月でやめた。

なんだけど、その後の数年間、キャバクラやテレクラ、そういう系統のお店で働きたくて仕方なくて(ちょうど夫と婚約後、リストカットしている時期)

 

さみしかったんだよね。不安だったんだよね。

誰かに必要としてほしかった。

かわいいね、って言ってほしかった。

一緒にご飯を食べようよ、って誘って、高いお店で私のためにお金を払ってほしかった。

そうすることで自分の価値を感じたかった。

 

その後、夫と婚約してリストカットをしている時代も

やはりキャバクラやそういう系統の怪しいお店で

なんども面接や話を聞いたり、体験入店とかしてみたけど、

しかも銀座や歌舞伎町!

どこかで怖くなっちゃってやめたんだ。

何かが違う、って思ったのかもしれない。

でもやめることがすごく怖かったのを覚えている。

 

最後は犬を飼うことで落ち着いた。

犬といると「自分は必要とされている」ことがわかるからなのかな。

また書くけど、彼(犬)は命の恩人。私と夫の関係を継続できたのは彼のおかげ。

彼がいなければ子どももいなかったかもしれない。

人生の不思議。運命の不思議。

 

 

 

 

リストカットの意味

ちょっと生々しい表現も出てくるので、苦手な方はご遠慮くださいね。。。

 

実は10年ほど前、リストカットをしていた。

その時は人生で一番幸せであるはずな時であった。

旅先で夫と出会って、縁あって3か月で結婚を決めた、

ちょうどそのころにリストカットを始めた。

 

きっかけは些細なことだった。

そもそも夫に出会ったとき、私はうつ状態で大学を休学中だった。

それもあって夫の家に転がり込んだ。

そんなある日、同じ大学の医学部の友人に会い、(私も医学部に在籍していた)

ちなみに大学内ではかなり仲のいい部類に入る男友達だったのだが、

 

「なおちゃんはリストカットしないの?」

 

と聞かれた。

それまで考えたこともなかったリストカット

そのころは

「死にたい、死にたい」

そればっかり思っていたけれど、リストカットをしようと思ったことはなかった。

 

彼に言われて、リストカットしていない自分が悔しく思った。

私はこんなに苦しい思いをしているのに、

リストカットしてないし、まだまだ大丈夫じゃん」

と思われるのがすごく悔しかった。

医学部の、人の痛みをわかってあげて欲しい人に、

しかも私のことをよく知っている人に、

この私の心の痛みが伝わらなかったのがすごく悔しかった。

 

友人と別れて家に戻り、さっそくリストカットしてみた。

カッターで左手首の内側を切った。

何本か切った。うっすらと血がにじんだ。

その血を見た時、なぜかほっとした。

血を見ることで、自分が生きている!と感じることができた。

手首の痛みで、自分が生きている、と感じることができた。

久々に感じた、すぅーっともやもやが消えて行って、

自分が今ここに居ることを感じられる、穏やかな時間だった。

 

また、リストカットは周りの人から見えるので、私には都合がよかった。

どんなに「苦しいんです」「死にたいんです」

と言っても、周りの人には全くと言っていいほど伝わらなかった。

でも、リストカットの傷があることで、「私、やばいよ」みたいのが周りに証明出来てなんだかうれしかったんだ。

 

でも、それをなぜ、人生で一番幸せであろう、夫と婚約をした時期に始めたのかはわからない。

私は当時、幸せであった。しかし、連日深夜帰りの夫、または帰れなくて泊まったり、朝帰りする夫に相当のイライラを募らせていた。

私がこんなにくるしい思いをしているのに、なぜあなたは私の近くに居てくれないの?と。

夫が帰ってこない夜は、苦しくて苦しくて仕方がなかった。気が狂いそうで、

その気持ちを落ち着けるためにリストカットをした。

 

両親への見せつけにもやった。そんなに苦しんでいる私に

「元気そうでよかった」

とさらっという両親に非常に腹が立っていた。

これでもそう言えるの?、あんたたちの教育は間違ってたんだよ!

口で言えない分、リストカットをして、傷を見せた。

 

夫も両親も言った。

リストカットは絶対にダメだよ。何もメリットがない。やめなさい」

 

って。そういわれる意味が分からなかった。

 

だって、私がその時唯一「生きている」と感じた時は、

リストカットの血を見た時、またはその後の痛みを感じているときだったのだ。

それは私の支えだった。それなしではどのように自分を支えていいのかわからなかった。

 

結婚式の1週間前までリストカットをしていた私だけど、その後引っ越しをして、

安心できる自分のスペースができたからか、リストカットは徐々にしなくなった。

 

もう10年前のこと。今日、久しぶりに残っているリストカットの傷を見て思い出したんだ。

その傷に対して、私は嫌な感情はわかない。

むしろ、なにか温かいものを感じる。私を助けてくれてありがとう、ってね。

 

 

でも、夫にしてみれば散々な出来事だったんだろうね。。。

今度聞いてみよう~

夫婦を結びつけたものとは・・

共通した恐れ。

夫婦は同じ恐れを持った人と人との結びつき。

 

他人同士がなぜかきちんとした理由もなく、

なんとなくこの人かな、って、

それからの何十年もの人生を共にすることを約束する。

これってすごいことだよね。

そんな決断、私しちゃったんだ・・・(笑)

 

でも、その後何年かして、

 

「私、なんであの人と結婚したんだろう」

「あの頃に戻れるなら違う人と結婚したい」

 

そういう言葉をたくさん聞いてきた。

 

先日、まつげパーマに行ったら、施術してくださった方に

 

「結婚っていいですか?」

 

と聞かれた。

 

「・・・」

 

しばらく考え込んでしまった。

結婚がいいか、考えたことなかったな~

子どもは産んだことを後悔したこともあったけど、

結婚そのものまでさかのぼったことがなかった。

 

そして、すぐに

「はい、結婚っていいですよ」

とは言えない自分がいて、それにも愕然とした。。。

 

その方は未婚で、施術に来られる方があまりにもご主人に対して愚痴を言うから、

結婚に対して希望が持てない様子だった。

 

私が出した答えは、

「結婚っていいことばかりではないですけど、人生が深くなりますよ」

 

そうなんだよね。結婚って、結婚相手との生活って楽しいだけではない。

それは相手があまりにも自分のことを映し出してしまうから。

自分の持っている恐れを、相手がはっきりと自分に見せつけるから。

それだから相手に怒りを感じるし、無視したくなるし、嫌になる。

 

だからきっと、それに気づかない限り、だれと結婚しても同じことが繰り返される。

 

相手と自分は、表面的には全く違うかもしてない。

正反対かもしれない。

だけど、その行動の後ろに隠されている恐れは一緒なんだ。

 

私と夫もすごく違うようで、すごく似ているなと思うけど、

3人の子どももすごく違うようで、きっとすごく似ているんだろう。

 

夫のいいところ、嫌なところ、すべてを受け入れられるってことは、

自分のいいところ、嫌なところ、すべてを受け入れられるってこと。

家族もそう。

 

夫を、家族を鏡に自分を見てみよう・・・

 

あの人の中にあるものは・・・

自分の目の前にいる人が持っているもの、

それはすべて私の中にあるもの。

それを目の前の人が鏡になって私に見せてくれているだけ・・・

 

何度も聞いたその言葉が、急に私の中で繋がった

そうだ、そうだよ・・・!

 

私の目の前にいる人が、私に強い感情を抱かせるとき、

強い感情とはだいたい負の感情であったり、

そもそもその感情に気づかぬために、

固まってしまうだけの時かもしれないけど、

 

そんなとき、私は完全に我を失って、

仮面をつけて身を守ってきた。

怒りの感情を抱くことだったり、完全に無視することだったり。

私とはまったく別人になり、

そうすることでどうにか自分を守ってきた。

 

今までそんな自分を激しく拒絶してきたけれど、

そうすることでしか自分を守れないくらい、

私自身はその出来事で傷ついていたんだ。

そのことがなんとなく腑に落ちた時、仮面をつける自分をいとおしく感じてきた。

 

目の前に激しい感情を抱かせる人が現れた時、

私は心の中で激しくその人を責めた。

 

「なんでそんなことをするの」

「なんで私の気持ちを考えられないの」

「そんなに怖がっても仕方ないでしょう」

 

責めて責めて、またはその相手の言葉に傷つけられて、

何日もその言葉や行動が引っかかって、自分自身を見失って。

 

「なんでこんな目に合わないといけないの」

「私はなんて不幸なの」

 

そう思って自分を慰めてきた。

 

でもついに気づいてしまった。

あの人の持っている恐れは、自分の持っている恐れと一緒だったのだ。

表現する形は全然違うけど、というか真反対な気がするけど、

だけどその元の恐れは一緒だったのだ・・・

 

あの人はいつものように

「自分は幸せ」

「いいことがあったわ」

「何も問題がないよ」

「まったく変わりないわ」

 

そういう。それに強い拒絶反応を示してきた。

 

そして私は言う。

 

「私は不幸」

「いいことなんて全然ないよ」

「問題ばっかり」

「ほんと落ち着かない」

 

あなたとは違う。あなたと私は全然違うの。

あなたは幸せかもしれないけど、私は全然幸せじゃない。

 

そう信じてきたけれど、すごい嫉妬心を抱いてきたけれど、

きっとあの人も私も一緒なんだ。

自分に自信がないから、そういうことで、そう信じることで自分を守っているだけなんだ。

本当の自分を見ないようにしているだけなんだ・・・

 

そう気づいたとき、私はあの人にも私にも温かいものを感じた。

あの頃の私に会ったら・・・

3年半ほど前、札幌から横浜に引っ越してきた。

夫の転勤で転々として、札幌には8か月しか居なかった。

でも、その間にとても素敵な幼稚園と出会った。

とても珍しい、お母さんと子どもが一緒に登園する幼稚園。

山の中にあり、教室もなく、何をするかは自由。

好きな時間に行って、好きなことをして、好きな時間に帰る。

夏は沢を下り、冬は急斜面をお尻で滑り、屋根に上り、バスの上に登り。

昔の長屋、そんな感じの場所だった。

 

私はそこが好きだった。

本当に好きだったというよりは、私の「理想」とする場所だった。

人と人との関係の中で子どもが育ち、何もないところから何でも生み出し、

暖かい交流や時にはぶつかり合いがあって、とても人間らしい場所。

私はそんな場所を求めていた。

そこに出会ったときには感動したし、ずっと居たいと思った。

 

夫の転勤があっても、子ども2人とともに札幌に残り、その幼稚園に通うつもりだった。

そもそも東京も嫌いだし、放射能も怖いし、なによりここから離れたくない。

 

しかし、いざ転勤が決まり、話し合う中で私は夫と共に東京に(家は横浜だが)行くことを決めた。

 

その幼稚園を離れるとき、

「これからもちょくちょく来ます」

「一年の半分くらいこちらで過ごしたいな」

 

そういって出たが、引っ越し直後に第3子の妊娠もあり、その幼稚園とは連絡も取らずにいた。

ひょんなことから先日連絡をいただき、最近の幼稚園の様子を知る機会があった。

 

「あの時、札幌に残っていたら今ごろどうなっていたんだろうな」

 

当時一緒に通っていたお母さん、子どもたちの成長した様子、活躍している様子をお便りで読み、うらやましく感じる。

今、ここに居る私が、私だけが取り残されてしまって、私だけが進めずにいる、そんな気持ちになる。

 

私も札幌の、あの幼稚園に居たら、その人たちと同じように進んでいたんだろうか。

自信を持てていたのだろうか。

 

 

いやいや、違う。

たぶん欲しいのは「自信」なんだ。

 

その幼稚園に「所属」しているという「自信」

仲間がいる、という「自信」

このみんなが素晴らし、と言っている幼稚園に〇年間所属した、という「自信」

 

その幼稚園に居た時の私は輝いていただろうか。

自由だっただろうか。

 

確かに色々と学ぶことはあったし、感情が湧いてきて、自分自身と向き合っていた。

 

でも、それよりも「行く」ことに必死になり、

自分の「ニーズ」は全く無視していた。

子どもが「やりたい」ということに付き合い、

他の子どもたちに「本を読んで」と言われたら話すのがどんなにきつくても読んでいた。

そして、家に帰ってからは・・・疲れて子どもに怒鳴り散らして。

 

幼稚園といえど、毎日一緒に行くので一人になる時間はない。

毎日お弁当作り、一日子どもと遊んで、疲れ果てて帰ってから家事が待っている。

休もうかな、と思っても怖くてなかなか休めない。休んだら休んだで罪悪感。

 

その時の私はかなり限界だった。ちょっとつつかれたら涙がどば~っと流れてくる。

どうしたかったのだろうか。休みたかったのだ。一人の時間が欲しかったのだ。

 

横浜に引っ越してきて、生活は一変し、子どもに札幌と同じような環境を与えてあげられないことに悩んだことも多い。

しかし、私は私らしくあること、誰かに支えられなくても一人で立つこと、

人に任せること、お金を払ってでも自分のニーズを守ること・・・

そんなことを学んできた。札幌に居たらこのようなことはできたであろうか疑問である。

 

せっかく与えられた最高(と思う)場所に出会ったのにすぐにそこから離れないといけなくて、憤りも感じたけど、

やはり今の私に最高の場所や環境がその時々で与えられるんだな、と改めて感じた。

 

まだまだ色々な課題はあるけれど、今の私は、今までの人生の中で一番自由かもしれない。(これでもね・・・)

今が、今あるもの、今いるところが最高なんだと信じて、自分を信じて、進んでいきたい。

 

自分の中の何が正しくて何が正しくないのか・・・わからない

こんなに色々と考えてきたり、自分と向き合ってきたつもりだったけど、

自分にまったく自信がないことに気づいた。

 

私にしかできなくて、他の人にできないことなんでないんじゃないかな。

私が何か始めて、お金を稼げる、そんなことってホントに起こるのかな。

 

素直に言うと、今はお金を稼ぎたい。

それは恐れからかもしれない。

お金をもらうことで安心感を得たいのかもしれない。

それとも、そもそも「お金をもらう」という経験をしたいのかもしれない。

 

私って何なんだろう。何を経験したくて今ここに居るんだろう。

どちらかというと大変だな、とかつらいと思うことが多く、

緊張している時間がすごく長くって、

子どもとは向き合えているといえない気がするし、

そもそも自分と向き合えてないのかな。

夫とはお互いに努力をしているのになんだかすれ違い続き。

今年の夏休みは家族と気持ちの交流があまりないまま、終わりを迎えようとしている。

 

上の子二人を義理の両親宅で1週間預かってもらった。感謝。

その両親がまたマイペースで、私と時間の感覚も全く違う。

子どもたち2人を迎えに2泊で義理の両親の実家に泊まった。

いつもの私なら

 

「あれしてこれして~あっちいってこっち行って~」

 

と忙しくするはずなのだが。夫もいないし、子どもも3人いるし、

今回のスケジュールは義理母任せ。

海へ遊びに行くって言っても、9時半に出て、10時過ぎにつき、1時間泳いで11時過ぎには片づけて帰宅。昼は家で食べる。

本当はすぐ近くの道の駅にも行きたかったし、そこにある美味しいと噂のレストランに寄りたかった。

でも、一言も言わず、いわれるがまま車に乗って帰路へ。

子ども3人は車で寝るし、すごくいいスケジューリングだったのだろう。

 

私にはそれができないことに強い怒りを感じた。

義理の両親のように、無理のないスケジュールというのを決められない。

もし私が行ってスケジュールを決めていたら、

泳いで、レストランでご飯食べて、ちょっと道の駅物色して帰ったな。

そしたら眠い子どもたちはぐずってそれにイライラして…

だったのかもしれないけど、自分がやりたいことをする満足感もあっただろう。

しかし、それをやると、今度は義理の両親が疲れてしまう。

そうしたらまたそれに落ち込んで・・・

 

なので、今回はお任せしてみた。

私の中のエゴが邪魔しているのか、まだよくわからないけど、

スムーズにいったことは確かである。

これから検証だ。

 

 

たかが生協、されど生協・・・

一年ほど前まで気に入って使っていた「A」という宅配の生協があった。

 

しかし、食通、食の安全通のお友達に進められ、

 

「すごくおいしいよ」

「質に対してとても安いよ」

 

と言われて、

 

「B」の生協に変えた。

 

その動機がね・・・その「B」という生協をやらないことが怖かったから。

なんどか「B」の商品を試していて、なんとな~くしっくりこない感じがあったんだけど、

彼女が言うなら間違いない!と信じて「B」をはじめ、「A」をやめた。

 

そしたら何だか悲しくてね・・・

なのに「B]をやめる勇気もなくて。

 

 

半年以上経って、ようやく、自分の感覚を信じて、もう一度「A」の生協にしよう!!

 

 

そう決めて、でも電話がなかなかかけれずにいたころ・・・

 

ばったり「A」の生協が紹介ブースを出している所に出くわして。

うれしかったね~無事「A」の生協をまた始めた。

 

 

でも、「B」もいいかな、と思うこともあるから、とりあえず両方使ってみることに。

 

ちょっとぶれてしまうこともあるけど、ぶれることで新たな発見をしたり。

これだけ!がいいんじゃなくて、あれもいいし、これもいい。どちらもいい。

人生って、まさにこんな感じなのかな、と思った出来事でした。