あの頃の私に会ったら・・・
3年半ほど前、札幌から横浜に引っ越してきた。
夫の転勤で転々として、札幌には8か月しか居なかった。
でも、その間にとても素敵な幼稚園と出会った。
とても珍しい、お母さんと子どもが一緒に登園する幼稚園。
山の中にあり、教室もなく、何をするかは自由。
好きな時間に行って、好きなことをして、好きな時間に帰る。
夏は沢を下り、冬は急斜面をお尻で滑り、屋根に上り、バスの上に登り。
昔の長屋、そんな感じの場所だった。
私はそこが好きだった。
本当に好きだったというよりは、私の「理想」とする場所だった。
人と人との関係の中で子どもが育ち、何もないところから何でも生み出し、
暖かい交流や時にはぶつかり合いがあって、とても人間らしい場所。
私はそんな場所を求めていた。
そこに出会ったときには感動したし、ずっと居たいと思った。
夫の転勤があっても、子ども2人とともに札幌に残り、その幼稚園に通うつもりだった。
そもそも東京も嫌いだし、放射能も怖いし、なによりここから離れたくない。
しかし、いざ転勤が決まり、話し合う中で私は夫と共に東京に(家は横浜だが)行くことを決めた。
その幼稚園を離れるとき、
「これからもちょくちょく来ます」
「一年の半分くらいこちらで過ごしたいな」
そういって出たが、引っ越し直後に第3子の妊娠もあり、その幼稚園とは連絡も取らずにいた。
ひょんなことから先日連絡をいただき、最近の幼稚園の様子を知る機会があった。
「あの時、札幌に残っていたら今ごろどうなっていたんだろうな」
当時一緒に通っていたお母さん、子どもたちの成長した様子、活躍している様子をお便りで読み、うらやましく感じる。
今、ここに居る私が、私だけが取り残されてしまって、私だけが進めずにいる、そんな気持ちになる。
私も札幌の、あの幼稚園に居たら、その人たちと同じように進んでいたんだろうか。
自信を持てていたのだろうか。
いやいや、違う。
たぶん欲しいのは「自信」なんだ。
その幼稚園に「所属」しているという「自信」
仲間がいる、という「自信」
このみんなが素晴らし、と言っている幼稚園に〇年間所属した、という「自信」
その幼稚園に居た時の私は輝いていただろうか。
自由だっただろうか。
確かに色々と学ぶことはあったし、感情が湧いてきて、自分自身と向き合っていた。
でも、それよりも「行く」ことに必死になり、
自分の「ニーズ」は全く無視していた。
子どもが「やりたい」ということに付き合い、
他の子どもたちに「本を読んで」と言われたら話すのがどんなにきつくても読んでいた。
そして、家に帰ってからは・・・疲れて子どもに怒鳴り散らして。
幼稚園といえど、毎日一緒に行くので一人になる時間はない。
毎日お弁当作り、一日子どもと遊んで、疲れ果てて帰ってから家事が待っている。
休もうかな、と思っても怖くてなかなか休めない。休んだら休んだで罪悪感。
その時の私はかなり限界だった。ちょっとつつかれたら涙がどば~っと流れてくる。
どうしたかったのだろうか。休みたかったのだ。一人の時間が欲しかったのだ。
横浜に引っ越してきて、生活は一変し、子どもに札幌と同じような環境を与えてあげられないことに悩んだことも多い。
しかし、私は私らしくあること、誰かに支えられなくても一人で立つこと、
人に任せること、お金を払ってでも自分のニーズを守ること・・・
そんなことを学んできた。札幌に居たらこのようなことはできたであろうか疑問である。
せっかく与えられた最高(と思う)場所に出会ったのにすぐにそこから離れないといけなくて、憤りも感じたけど、
やはり今の私に最高の場所や環境がその時々で与えられるんだな、と改めて感じた。
まだまだ色々な課題はあるけれど、今の私は、今までの人生の中で一番自由かもしれない。(これでもね・・・)
今が、今あるもの、今いるところが最高なんだと信じて、自分を信じて、進んでいきたい。